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2005年01月25日

【薬指の標本】/小川洋子

小川洋子 / 新潮文庫
 小川氏の作品は結構好きで、だけど、追っかけるというほどでもなく、本屋で文庫を見つけるとなんとなく買ってくるということが多い。少し前に買ったまぶた」/新潮文庫は今ひとつぴんとこなかったのだけど、こちらは結構好き。
 この人の小説に出てくる女性たちはみな現実から剥離され浮遊しているような気がする。私は人間が生物として生きていくのって結構ドロドロなもんだと思っている。生きていれば毎日皮膚の表面は死んで剥がれて垢やフケとなるし、年齢を重ねるうちに血管の内側にもドロドロのものが堆積してゆき、そうして動脈硬化を起こすような、それが「生物として生きていく(あるいは老化していく/生物とは生れ落ちて成長しきると同時に老化が始まるものなのだ)」、という事であるような感覚が私にはあるのだけど、この人の小説の中の女性たちにはそれがない。(少女漫画やアニメや、それらだって同じだろう?と言われるかもしれないけど、あれらは違う。あれらはそれが「お約束事」になっているから。「お約束事」の上で展開される世界だ、という決まりになっているから。でも小川氏の小説にはそんな「お約束事」はない。私には感じられない)。彼女たちを取巻く世界は実際はどうであれ彼女たちにとっては透明で剥離されているものであり、そこでは彼女たちは老化しない。つまり彼女たちには「死」もないわけなのだけど、でも「生物」でもあるのでそういうわけにはいかない。だから、彼女たちは「消滅」していく。「美化された死」ではなく、単なる「消滅」。うーん、上手く言えないけど、小川さんの小説を読むといつもそんな気分になる。文章の不思議な透明感によるものなのかもしれない。その透明感と剥離感に私は惹かれて、文庫を見つけると買ってくるのだけどね。

 同じような現実剥離感は吉田知子氏の「無明長夜」を読んだときにも思ったのだけど(これももう絶版ねえ)、吉田氏の女性たちの方は「ドロドロに生きている」のよね。ドロドロの堆積物は血管の内側などの見えない部分だけではなく、彼女たちの皮膚をも覆っている。普通の人たちはそれに気がつかないのだけど、彼女たちにはそれが見えていて、そのドロドロの膜の内側で現実世界から剥離されている。そんな感じ(ああ、でもそう言うふうに感じるのは吉田氏の初期作品群のみです。最近のはよく知らないしよく分からない。読んでない…)。

 私はそういう「剥離感」にとても惹かれるのかもしれない(^^;)

  
余談:単語のもつ印象
隔離じゃないのよ、剥離なのよ。ひっぱがされているって感じなのよ。隔離、だと、内部にいる「私」はあくまでも確固として「私」だけど、剥離だと違う。ほろほろかベリベリかは分からないけど、ともかく剥がれていく。剥がされていく。そうして、だんだん「無くなって」いく。

SayaT at 2005年01月25日 11:54
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