2005年01月24日

【モンスター】

(劇場)2003/米独/パティ・ジェンキンス
 ちょっとだけおっかなびっくりで見に行ったんですが、まあ、観て良かった、と思える映画で良かった。
 これもある側面から見た真実であり、だからといってその行為が許されるものではないにしてもいろいろと考える部分はたくさんある、と言うことを見せてくれる映画でした。思うに、世の中をしっかりと渡っていけない人というものには、人生におけるいろいろな選択をことごとく間違った方へと選んでいってしまう、と言う面はないだろうか。一つの間違いが次の選択の幅を狭め、修正することがどんどんと難しくなっていってしまう。大人になってからの選択ミスというものは、本人が責任を負わねばならないものなのだと思うけど、哀れなのは、そんな責任を負わされるべきでない幼少時にとんでもない選択を強いられ(選択を強いられる、というのはおかしいね。人間として生きていくのに極悪極まりないことを強制される、ということである)その結果、その後の人生における選択の幅が極端に狭まり、堕ちて行かざるをえない子供が世の中には多数いる、と言うこと。世の大人達は、子供が自分の頭で考え、選択し、その選択した結果の道を自ら歩んでいけるような力がもてるよう、おのれの子供たちを育てて行かねばならない。
 …と言うことはとても簡単だが、子供をそのように育てていくのは結構難しいことかもしれない。最近の世の中の情勢を見ていても(^^;)。自分で考え選択し、その行動に責任を負うことができない大人に、そう言う子供を育てられるはずがない。実際問題、私自身さえも自分の子供をそう言うふうにちゃんと育てているかどうかは分からない。ただ、自分で選択しその結果の行動に責任を持てる大人になって欲しいとは切に思っている。その前に自分がそう言う大人に育っているかって事からして疑問ではあるが、でも自分で選んだ道に対しては自分で責任をとろう、とは思っているしそう言う風に生きていきたい、とも思っている(実はただの臆病者という話もあるが、まあ、話がずれすぎるのでそれはまた別の機会に別の場所で)。
 …てな感じで、いろいろいろいろと考えさせられる映画でした。子供は産まれてきた時には皆同じものを持っているはずなのに、その後の人生がどうしてこうも変わってきてしまうのか。なさけない。

 以上は余談ですかね(^^;)。あとは単純に映画の感想を。アイリーンは愛されることに飢えていたけど、それ以上に「愛する」事に飢えていたような気がする。だから、「愛する」対象を見つけたあとのアイリーンはどうしようもなく切なく見える。それでもまだ、「殺す」事に理由を見出していた間は良かったのだけど、最後の犠牲者を殺してしまった時、彼女の中で全てが壊れちゃったんでしょうね。彼女が見つけた「愛する」対象がああいうおじいさんだったら、もしかすると彼女は更正できていたかもしれない。その後の人生を平穏に暮らせていたかもしれない。そう思うと、「モンスター」だったのは実はセルビーではなかったか、と言う気までしてくるのである。人に頼ることしかしない、人に求めるだけの、でも一見ひ弱で善良そうに見える、そして多分「純粋」でもある「子供」のセルビー(だからこそアイリーンもセルビーを守ろうとあんなに必死になったのかもしれない)。最悪の組み合わせよねえ。これは。が、人生なんてこんなもんで、こういう事は世の中にたくさんあるのだろう、とも思います。「あんたと私は住む世界が違う」という言葉はとても重い。

蛇足の余談。
「世の中をしっかりと渡っていけない人」という文章の意味ですが、「世の中をしっかりと渡っていける人」=「成功した人」とか、「生活レベルが上の人」とか、そう言う意味ではありません。自活できて人の道も踏み外さず、それなりに生きて、生活できている、と言う意味であります。山の中の一軒家で自給自足でヘイコラ生きているのでも、それでその人が納得しているのなら十分であるわけです。自分が現在置かれている境遇に納得できず、ある目的を持ってその目標に向かって必死になってる人もそれはそれでよいわけです。…ちゃんと生活ができているのなら……。

もう一つ。蛇足の蛇足。
「でも」「だって」「だけど」 …日常でこれらの言葉が連発されているとしたら、それはいけません。再考の余地有り。頑張りましょう。(何に?何を?(^^;)。いや、それも自分の頭で考えましょう) ……えらそうやな、自分(^^;)。まあ、私も頑張ります。人生まだ先は長いはず……。

SayaT at 2005年01月24日 18:38
コメント
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セルビーがモンスターだっていう見方をほかのブログでも見ました。うなづけるところもあります。でも、ぼくはアイリーンの育ち方や生き方の背景というか「社会」の中にモンスターを感じました。

Posted by 岡田康之 at 2005年02月02日 16:46

コメントありがとうございます。
そうですね、それもモンスターだと思います。この映画ってモンスターがいっぱいなんだろうと思います。それも可変の。セルビーだって、セルビー自体がモンスターだったのではなく、アイリーンとああいう形で関わってしまったことがセルビーが「アイリーンにとって」のモンスター化したと言うことだろうし、弁護士さんにしても職安のお姉さんにしても実際ああいう場面ではああいう対応を取るのが割合普通であるか、と思われますし(彼らはアイリーンのことは表面的にしか知らないわけです。つまり、表面のみを見ての対応しかできない)。
人間は誰でも何かに対してのモンスターになりうるのだ、と言う気がします。
…絶対的なモンスターはアイリーンを弄んだ男達だな、とは思いますが(特にあの警官、最低)。
見終わったあともしばらくはいろいろと考えさせてくれる、良い映画ですね、これ。

Posted by SayaTomoko at 2005年02月06日 10:41