2002年08月24日

内田百間

…が再ブームだそうで。
昔々、まだとってもとっても若かった頃(笑)結構好きで
ぽろぽろ読んでたりしました。
でも追っかけるほどでもなく、数冊入手後、
まあ、そのうちにと思っていたら
いつの間にやら本屋から姿を消してしまっていました。
その後、もう一回ブームが訪れたようなんですが
(黒澤氏が「まぁだだよ」を出した辺りですか)
そのころは私は幼児や赤ん坊の育児に追われていて
本屋どころでなく、入手し損ね。
10月くらいにどこぞから文庫で全集が出るとか。
今手元にあるのだけを時々読み返しては
他のも読みたいなあ、と思っていたところなので嬉しいですねえ。

 が、面白かったのが、そのことを伝えた新聞記事。
「癒しを求めて」百間がブームなんだそうです。
ううむ、よく分からない世の中事情。
と言うか、「癒し」という言葉と百間の文章とのつながりが
よく分からない(^^;)

 ちなみに弟が言い放った「ノラや」への一言感想。
「どこぞのじいさんが、居なくなった飼い猫のことを偲んで
めそめそ泣いてるだけの話」…確かに「話」はそうかも(^^;)
いや、私は何となく好きでしたけどね。
心に余裕がある時にしか読めないような気はするけど。

 どちらかというと、エッセイより幻想小説(と言うのか)の類が
とても好きでした。「昇天」とか。
凄い表現だなあ、文章だなあ、イメージだなあ、と思う。
昼間吹いていた風がぱたっと夕方になるとやむ、ただそれだけの
情景描写が百間先生にかかると、この世のものではないような
何とも言えない不思議な雰囲気を醸し出すのです。

 でもどちらを取ってもなんで「癒し」になるのか分からない(^^;)。


 まあ、読者が増えるのは良いことです。
本が売れれば絶版にもなりにくくなるだろうから。

SayaT at 2002/08/24 | Comments [0]

2003年07月12日

オコナー短篇集

 昨日本棚を漁っていて、オコナー短篇集を発見、引っ張り出してくる。中学生か高校生の頃買った文庫だ。よく分からない、面白くないなあ、と思った記憶がある。が、何となく捨てがたくて今でもまだ本棚に並んでいる。なので、再読してみた。

 やっぱり分からないなあ(^^;)。黒人解放令辺りのアメリカ南部の白人の事と、キリスト教のことがよく分かってないと理解できないのかもしれない。私が嫌いなタイプ(生理的嫌悪感を感じるタイプ)の人物が多く登場することも、読んでいて面白くない理由の一つだろうな。オコナー短篇集はまたしばらく本棚の飾りになってしまいそう。

余談:面白くない、と、分からない、は別物なので、この本が捨てられない。面白い、面白くない、は、個人的好き嫌いの問題だから、面白くなくても「何となく分かる」本はある。逆に、分からなくても面白い本もある。これらは別問題なのね。私なりに「分かる」ことが出来たら、オコナーも私の本棚から消えてなくなるかもしれない。

SayaT at 2003/07/12 | Comments [0]

2005年01月25日

【薬指の標本】/小川洋子

小川洋子 / 新潮文庫
 小川氏の作品は結構好きで、だけど、追っかけるというほどでもなく、本屋で文庫を見つけるとなんとなく買ってくるということが多い。少し前に買ったまぶた」/新潮文庫は今ひとつぴんとこなかったのだけど、こちらは結構好き。
 この人の小説に出てくる女性たちはみな現実から剥離され浮遊しているような気がする。私は人間が生物として生きていくのって結構ドロドロなもんだと思っている。生きていれば毎日皮膚の表面は死んで剥がれて垢やフケとなるし、年齢を重ねるうちに血管の内側にもドロドロのものが堆積してゆき、そうして動脈硬化を起こすような、それが「生物として生きていく(あるいは老化していく/生物とは生れ落ちて成長しきると同時に老化が始まるものなのだ)」、という事であるような感覚が私にはあるのだけど、この人の小説の中の女性たちにはそれがない。(少女漫画やアニメや、それらだって同じだろう?と言われるかもしれないけど、あれらは違う。あれらはそれが「お約束事」になっているから。「お約束事」の上で展開される世界だ、という決まりになっているから。でも小川氏の小説にはそんな「お約束事」はない。私には感じられない)。彼女たちを取巻く世界は実際はどうであれ彼女たちにとっては透明で剥離されているものであり、そこでは彼女たちは老化しない。つまり彼女たちには「死」もないわけなのだけど、でも「生物」でもあるのでそういうわけにはいかない。だから、彼女たちは「消滅」していく。「美化された死」ではなく、単なる「消滅」。うーん、上手く言えないけど、小川さんの小説を読むといつもそんな気分になる。文章の不思議な透明感によるものなのかもしれない。その透明感と剥離感に私は惹かれて、文庫を見つけると買ってくるのだけどね。

 同じような現実剥離感は吉田知子氏の「無明長夜」を読んだときにも思ったのだけど(これももう絶版ねえ)、吉田氏の女性たちの方は「ドロドロに生きている」のよね。ドロドロの堆積物は血管の内側などの見えない部分だけではなく、彼女たちの皮膚をも覆っている。普通の人たちはそれに気がつかないのだけど、彼女たちにはそれが見えていて、そのドロドロの膜の内側で現実世界から剥離されている。そんな感じ(ああ、でもそう言うふうに感じるのは吉田氏の初期作品群のみです。最近のはよく知らないしよく分からない。読んでない…)。

 私はそういう「剥離感」にとても惹かれるのかもしれない(^^;)

  
余談:単語のもつ印象
隔離じゃないのよ、剥離なのよ。ひっぱがされているって感じなのよ。隔離、だと、内部にいる「私」はあくまでも確固として「私」だけど、剥離だと違う。ほろほろかベリベリかは分からないけど、ともかく剥がれていく。剥がされていく。そうして、だんだん「無くなって」いく。

SayaT at 2005/01/25 | Comments [0]

2005年01月12日

【死海のほとり】/遠藤周作

遠藤周作/新潮文庫
遠藤周作は多分中高生の頃に「白い人黄色い人」「海と毒薬」あたりを読んだものの、そんなには興味はひかれず特に意識にも登ることはなかった作家さんなのだが、結婚後、ダンナの本棚に並んでいた「死海のほとり」を読んで印象は一変した。キリスト教文学への印象も変わった。ちょうど、10代の頃一生懸命読んでいた三浦綾子や曽野綾子などの作品が妙に鼻につきだした頃だっただろうか(あくまでも個人的感想です(^^;)。ファンの方ごめんなさい)。信仰、と言うものから一歩離れて、それに疑問を持ちながら、でも、捨てきれず、確かめようとしている、そう言う遠藤氏の描き方にひかれたのかもしれない。キリスト教のことはほとんど何も知らず、興味もたいしてなかった私であるけど、神様ってなんだろう、信仰ってなんだろう、人間にとってそれはどういう意味を持つのだろう、と、考え出す契機になった本でもある。(相変わらずキリスト教のことは知らないので、あくまでも普遍的な内容での思考ではあるけど。私は多神教的な考え方が好きよ←アニミズム的思考とも言う。八百万の神様ね。根っからの日本人だわ)
 私はこの本を読んで2000年前に生きた「イエス」と言う1人の人間にとても興味をひかれたのです。そして、遠藤氏が描く「イエスという人間の生き様」にもとても惹かれたわけです。「いつも私はあなたの側にいる」「私は決してあなたを見捨てない」。個人レベルでもとても難しいことなのにその対象を人間全体にまで広げようとした、イエスって一体どういう「人」だったのか。
 そのイエスの死後、彼の言葉や行為がどのようにして語り継がれ、宗教となっていったのかもちょっと興味はあるが(そして、同じく遠藤氏の「イエスの生涯」「キリストの誕生」と繋がっていくのよねえ)、一番考えることは「人間にとっての信仰てなんだろう、それは生きていく上でどういう意味を持つのだろう」と言うことと「いつも側にいる、絶対に見捨てない、と言える(言って貰える、じゃないよ)相手を1人で良いから持てることができたら、それは人生で一番幸福なことなんだろうな」と言うことである。とても難しいことだけどね。

 余談。小川国夫の「枯木」がもう一度読みたい。イエスが十字架を担いでゴルゴダの丘に向かう時の情景を切り取った本当に短い小品。アポロンの島/新潮文庫に入っているのだけど、この本がここしばらく行方不明(;_;)。数年前に読み返した記憶はあるんだけどなあ。とても古い本で多分もう絶版じゃないのかしらん。悲しい。講談社文芸文庫から出てるみたいだけど買い直すべきか。

SayaT at 2005/01/12 | Comments [0]

2002年10月31日

【百万年の船】ポール・アンダースン

ポール・アンダースン / ハヤカワ文庫
 久々に読み返す。これも2巻までは大好き。小説内時間が未来となる3巻がよく分からない。舞台がSFになるとなんだかよく分からなくなる私(^^;)。そういえば初めて読んだときも3巻について文句を言ったらだんなに「君はSFの読み方が分かってない」と言われましたねえ。うむ、未だに分かってないような気がします。分かりません。うん。

 不死であることの悲しさ、切なさ、その寂しさゆえ共に歩める同類を用心深く、しかし情熱的に求める彼ら。何も変わらない、永遠に続く、と言うことがどんなに恐ろしいことか、切々と迫ってくる小説です。不老不死を求める皇帝の話を読んだあとでこの話を読むと、ため息が出ます。

SayaT at 2002/10/31 | Comments [0]