2002年10月31日

【カエサルを撃て】佐藤賢一

佐藤賢一 (著) / 中央公論新社
 今ひとつでした。同じ作者の「双頭の鷲」は結構面白かったのだけど。カエサルを違う角度から見て描きました、という「狙い」だけの小説になってしまっていたような気が(あくまでも個人的感想)。

SayaT at 2002/10/31 | Comments [0]

1999年12月25日

【絶対音感】最相 葉月

最相 葉月 (著) / 小学館
 少し前、「絶対音感」という本が流行りましたよね(註:この感想文を書いたのは1999年のことでした)。 それをついこの間、やっと手にしました。 買うほどもないけど読んではみたいな、と思っていたのが、 実家に遊びに行ったら、おいてあったのです。
 借りてきて読み始めたのですが、なんだかよく分からない。 なんであんなに騒がれたのかな。 みんな聞き慣れない言葉を聞いて (絶対音感なんて言葉は普段そんなに 使われる言葉じゃないですよね)、 それを変に誤解して、 大騒ぎになってしまっただけのような気がします 。

 絶対音感というのは、わたしは ピアノの音がそらで分かる能力だと思っていました。 目隠しをしてピアノをぽんとでたらめに弾いたときに、 どんな音でも当てられる、ただそれだけのこと。 なんの役に立つか、というと、耳で聴いただけの曲を 楽譜に写し取ったりする事が楽にできると言うだけのことじゃないかな。 あと、音大の受験にはとっても役立つかな(笑)。 (聴音の試験の時に苦労しないですみます)。 音楽性やセンスとは何ら関係はないと思っています。 訓練すればどんな人にだって付く能力です。 子供なら絶対つきます。大人になってしまったらどうか分からないけど (でも、音楽性や、センスというものは「訓練」で 身につくものではありません) 。
 自然界のあらゆる音が音名で聞こえるというのも変。 自然界の音は12平均律で鳴っている音ではないのに、 ドレミで聞こえるはずがないのに。 ドレミの音の高さの近似値で聞こえる、というのなら分かるのですが。 この本の中にもそれはそのように書いてあるけど、 この本を読んだ人の話を聞いていると、 絶対音感を持つ人はどんな音も音名で聞こえてくる、 と思い込んでいる人が多いようで(^^;) (そういう話をあちこちで聞いて、わたしは 私の思っていた「絶対音感」という言葉の意味は 実は間違っていたのだろうか、と思って この本に興味を持っていたのです。 でも実際読んでみたら、別になにも間違っていませんでした。 なんだか「絶対音感」という言葉がこの本がでたために、 意味が少しねじ曲げられて一人歩きしてしまったような気がしました。

 ピアノの音がそらで分かっても、 それはたんなるひとつの特技でしかないし、 DTMで耳コピでもしようと思わない限り、 ふだんの生活ではそうたいして役に立つ能力でもないし。 本の中にあった、ドレミで音がすべて聞こえるために、 音楽を楽しむことが出来なかった、という方のエピソードは、 その方が神経質すぎただけではないかな、とも 思ってしまいます。 音ではなく文章でも、神経質な人はひとつの言葉に引っかかって、 たとえば、きらいな言葉を使う小説家の文章は 読むだけで吐き気がする、という人だって居ますよね。 それと同じじゃないのかしら。

 音が色を伴って聞こえてくる、というのは分かるような気はします。 これはその人の音楽性の問題じゃないかなと思います。 その人がどのようにその音を受け取っているか、 音に対して感じるものを持っているか、で、 「色」というものが出てくると思うので、 それは人によっては「匂い」であるかもしれない。 「形」や「手触り」でもあったりもするかもしれない。 それはその人の「音」に対する感受性だと思うので 。

 なんだかとてもとりとめのない文章になってしまいました<。 わたしは何が書きたかったのかな(^^;)。 「絶対音感」という本を読んで「変なの」と思ったことが、 書きたかったのでした。 あ、これは「本に書いてあることが変」じゃなくて、 「絶対音感という言葉がずいぶんと変に、 ねじ曲げられちゃったなあ」と思った、ということです。

 絶対音感を持っているっていうのは、 全然たいしたことじゃないし、 音楽をやるための必須条件でも全くないです (相対音感がしっかりあればいいのです) 。 小さな頃からピアノを習っていて、 ちょっと勘のいい子供なら特別訓練しなくても、 自然と身について行く能力です(と思っています)。 自然界で聞こえてきた音がドとレのあいだの何ヘルツの、 ところに値する音だ、というのが分かるっていうのは、 俗に言う絶対音感の意味とはちがうと思うのでした。 それこそそんなことが分かったってなんの役にもたたないですね(笑)。 わたしは分かりません。ピアノの音ならなんでも分かるけど。 DTMするには結構便利な能力かな、とか思っています

SayaT at 1999/12/25 | Comments [0]

2005年01月31日

ぼくんち・その2

 その1を書いてから、じっくり再読。久しぶり。でまたなんか書いている、と(笑)。いや、だって書き足りない(笑)

 思うに、とても分かりやすい「記号」なんですね。この作品は。マンガというもの自体が記号から成り立っているわけだけど(その記号を確立したのが手塚治虫で、少女まんが独特の記号を展開したのが昭和24年組のあの方々…という論説を昔どっかで読んだ。確かに…と思った)。このまんがもやはり記号で描かれている。それもとても分かりやすい記号(よく使われる記号、と言い換えても良い)。でも、この「記号」ってのは下手するととってもベタになってしまうのね。恥ずかしくって読んでられなくなる、と言うか。この「ぼくんち」も「ああ、ベタな表現だなあ」という部分が随所見受けられるのだけど(でもって、狙ってるなあ、とも思う)、でも巧いのよ。文章が巧いんだなあ。短い文章で実にツボをついた表現をする。狙ってるな、と思うのに、その狙い所にすとっと落とされてしまう。巧いなぁ…

 かのこ姉ちゃんに関して追記。姉ちゃんはこの先長く生きられないような気がしてきた。だから二太を手放した。一太の様にさせないために(姉ちゃんには、一太がどうなっているのかはきっと分かっている)。姉ちゃん、ずいぶん疲れてきている。泣いたら世間がやさしゅうしてくれるか!泣いたら腹がふくれるか!泣いてる暇があったら笑え!と、笑って生きてきた姉ちゃんが、だんだん笑えなくなっていく。(それでも自分の脇腹をこそばして無理矢理笑おうとする)。かのこ姉ちゃんが求めてきたものは得られなかった。それはこの町の環境のせいなのか、もっと他に理由はあるのか。手に持てるだけのものを持って、この町で一太と二太と、家族で暮らしたかっただけなのに。
 なんだかねえ。やはり絵本のような体裁と乾いた笑いとで見えにくくしてあるけど、物凄くウエットで悲惨な物語だな(^^;)

 きっと二太は漁師のじいちゃんの元で元気よく育っていくだろうな、と言うのと、こういち君が素朴で静かな生活を見つけたのが、大きな救いになっているのだろう(こういち君のあれはファンタジーだね。それこそ、世の中そんなに甘くないだろう、と思う。でもみんなが自分の手の大きさにあった幸せを見つけることができたらいいのにね)。漁師のじいちゃんが魚を捕って平和に生活していけますように。読み終えたあと、昔も今も切に願う、読後の感想である。

  
鳥頭紀行も再読して、苦笑い大笑いしつつ、やっぱり住む世界は違うわ。しかし、表に出てこない部分で妙に共感してしまうのも同じだわ。

SayaT at 2005/01/31 | Comments [0]

2005年01月26日

【ぼくんち】/西原理恵子

西原理恵子 /小学館 スピリッツとりあたまコミックス
全3巻の中の第1巻↑。全てを1冊にまとめたコミックスも出ているようだけど、お財布に余裕があるなら是非、とりあたまコミックスで読まれることを強力おすすめ。絵本のような作りで、それがまた切なく哀しく、面白い。

 西原理恵子って凄いと思う。「ぼくんち」を読み「とりあたま紀行」を読んで、どういう人なんだろう、と、腕組みをして考え込むが、私ごときには答えはでない。凄い人であり見事な才能であると、私は思う。(^^;)。

 この人が実際に属する世界はよく分からないけど、この人が描く世界は、映画「モンスター」の感想でも書いたけど「私とあなたは住む世界が違う」なのである。私はこういう世界では生きてこなかったし、身近にもなかった。多分これから先も身近に見ることはないように思われる世界である。でも、ガンガン来るんですよ。堪らなく切なく愛おしく感じる。思うに、西原理恵子氏のものの考え方の根っこが大好きなのだと思う。住む世界が違っても根っこの部分が同じ人っているのだろうか。いるのだろうな、と思える。(実際、同じ様な環境、境遇に棲息している人達でもどうにもこうにも思いが沿えない人も多数いるから、世界が違っても同じようにものを考える人はいるんだろうな、と思う)

 かのこ姉ちゃんが、私は大好きだ。モンスターの主人公と同じ様な立場に、多分彼女はいる。でも、彼女は自分の「生きる道」が本能で分かっているように見える。そして彼女には守りたい子供たち(弟たち)がいる。いるけど、彼女はその子供たちを保護や道徳で囲ってしまったりはしない。かのこ姉ちゃんは無自覚にではあるが「生きていく」事についての哲学を自分の中にしっかり持っているから、子供たちに日々の辛い現実のそのまん中で、それ(人間として生きていく一番の根っこの部分)を教え込む。姉ちゃん凄い。全然立派じゃないし世俗にまみれて一般的に見れば底辺のめちゃくちゃな生活と人生なんだけど、でも、かのこ姉ちゃん凄い。彼女は一番大事な選択肢の選択を間違わないのである。これが凄い。
 しかし姉ちゃんが弟たちにどんなに愛情を注ぎ頑張ろうとも、世の中は甘くないから、弟たちのうちの兄ちゃんの方は道をどんどん踏み外していく。それは人手に渡ってしまった「ぼくんち」を取り戻すためであり、姉ちゃんのためでもある。でも、彼は道を間違える。家は戻らないし姉ちゃんの境遇も変わらないし、事態はどんどん悪くなっていくだけ。自分が道を踏み外していることを分かっていながら、彼にはもうどうしようもないのがとても哀しい。結局姉ちゃんは、昔の家を燃やしてしまい、一番末の弟を遠い親戚のじっちゃんに預ける(いつか迎えに来てな、と言って)。これが彼女の最後の選択である。とても哀しく切ない選択だ。そうして「ぼくんち」はバラバラになってしまう。…こんな風に説明すると、えらく悲惨な話のように思えてしまうけど(実際とてつもなく悲惨な内容の世界なんだけど)、それをギャグも織り交ぜて笑いを込めながら描いてしまうところに西原氏の凄いところがあるんだと思う。このマンガには、「人間にとっての一番大事な部分ってなんだ?」と言うメッセージがてんこ盛りになってると思うよ、私は。(そんなこと言ったら、西原氏は「ケッ」と言うだろうけど(笑))

  
余談の追記;

 現在毎日新聞で毎週火曜に連載中の毎日かあさん」は、さすがに一般紙連載だけあってかなり毒は抜けておりますが、でもやはり「西原氏」のマンガでとても楽しい。でもって、、やはり私は西原氏の考え方の根本が大好きなんだと思う。だって、子供の育て方、と言うか、子供を育てるに当たっての信念が同じだもん!(笑)。西原母さん頑張れ!


も一つ追記。
読んだのはずいぶん前で、最後に読み返してからももう1年くらい経ってるのに、そのまま感想なんか書くもんだから、一番大事な部分をすっ飛ばしてたじゃないか(^^;)。と言うことで、本文一部修正。アップし直し。

SayaT at 2005/01/26 | Comments [0]

2002年12月06日

【ローマ人の物語】塩野七生

塩野七生 / 新潮社
 塩野さんって面白い人だなあ、 と思う。ダンナもあの人の本がずっと好きで(小説の方じゃなくて歴史書の方が)、ずっと塩野さんって男の人だと思ってたらしいんだけど、でも、女性だねえ、と私は思う。言葉が悪いかも、ですが(^^;)、ものすごくミーハーなところがあるなあ、と感じるんですね。私は塩野さんの本は小説…「チェーザレ・ボルジア~」から入ったので当時は、うわお、豪華絢爛!森川久美さんなどが漫画にしたら、もうバリバリ!などと思ってしまったものですが、じゃ、軽いのか?と言うとそうじゃない。重いんですね。緻密に調査してかっちりした文体でがっちりと書き込んでいっているんだけど、でも、どこかに凄くミーハーで女性的な視点がある。男性読者はそのあたりをどういう風に見て(読んで)るんだろう。そう言う部分には引っかからないのかな?
 私は歴史、戦争物は苦手なんですよ(頭が悪いもんで、戦略ってのが分からないんですよ(^^;))。だから、塩野さんのこれを読んでいても、やっぱり分かってはいないんですが(感想は、ひゃー凄いなーローマ人って凄いなー。カルタゴってアホやなー、ハンニバルってすごいなースピキオって凄いなーなんでこんな事が分かるんやろうなー天才って凄いなー、こんなに先を読んで行動できるなんて、人間ちゃうなー…と言うのしか出てこない、情けなさ(^^;))、しかし読み進めながら血湧き肉躍ってたりします(笑)。こんな感覚は久しぶりかも。司馬氏の「坂の上の雲」で、おお、血湧き肉躍る、とはこういう感覚か、と思った記憶があるのだけど、それ以来ですね。

SayaT at 2002/12/06 | Comments [0]