1999年12月25日

【絶対音感】最相 葉月

最相 葉月 (著) / 小学館
 少し前、「絶対音感」という本が流行りましたよね(註:この感想文を書いたのは1999年のことでした)。 それをついこの間、やっと手にしました。 買うほどもないけど読んではみたいな、と思っていたのが、 実家に遊びに行ったら、おいてあったのです。
 借りてきて読み始めたのですが、なんだかよく分からない。 なんであんなに騒がれたのかな。 みんな聞き慣れない言葉を聞いて (絶対音感なんて言葉は普段そんなに 使われる言葉じゃないですよね)、 それを変に誤解して、 大騒ぎになってしまっただけのような気がします 。

 絶対音感というのは、わたしは ピアノの音がそらで分かる能力だと思っていました。 目隠しをしてピアノをぽんとでたらめに弾いたときに、 どんな音でも当てられる、ただそれだけのこと。 なんの役に立つか、というと、耳で聴いただけの曲を 楽譜に写し取ったりする事が楽にできると言うだけのことじゃないかな。 あと、音大の受験にはとっても役立つかな(笑)。 (聴音の試験の時に苦労しないですみます)。 音楽性やセンスとは何ら関係はないと思っています。 訓練すればどんな人にだって付く能力です。 子供なら絶対つきます。大人になってしまったらどうか分からないけど (でも、音楽性や、センスというものは「訓練」で 身につくものではありません) 。
 自然界のあらゆる音が音名で聞こえるというのも変。 自然界の音は12平均律で鳴っている音ではないのに、 ドレミで聞こえるはずがないのに。 ドレミの音の高さの近似値で聞こえる、というのなら分かるのですが。 この本の中にもそれはそのように書いてあるけど、 この本を読んだ人の話を聞いていると、 絶対音感を持つ人はどんな音も音名で聞こえてくる、 と思い込んでいる人が多いようで(^^;) (そういう話をあちこちで聞いて、わたしは 私の思っていた「絶対音感」という言葉の意味は 実は間違っていたのだろうか、と思って この本に興味を持っていたのです。 でも実際読んでみたら、別になにも間違っていませんでした。 なんだか「絶対音感」という言葉がこの本がでたために、 意味が少しねじ曲げられて一人歩きしてしまったような気がしました。

 ピアノの音がそらで分かっても、 それはたんなるひとつの特技でしかないし、 DTMで耳コピでもしようと思わない限り、 ふだんの生活ではそうたいして役に立つ能力でもないし。 本の中にあった、ドレミで音がすべて聞こえるために、 音楽を楽しむことが出来なかった、という方のエピソードは、 その方が神経質すぎただけではないかな、とも 思ってしまいます。 音ではなく文章でも、神経質な人はひとつの言葉に引っかかって、 たとえば、きらいな言葉を使う小説家の文章は 読むだけで吐き気がする、という人だって居ますよね。 それと同じじゃないのかしら。

 音が色を伴って聞こえてくる、というのは分かるような気はします。 これはその人の音楽性の問題じゃないかなと思います。 その人がどのようにその音を受け取っているか、 音に対して感じるものを持っているか、で、 「色」というものが出てくると思うので、 それは人によっては「匂い」であるかもしれない。 「形」や「手触り」でもあったりもするかもしれない。 それはその人の「音」に対する感受性だと思うので 。

 なんだかとてもとりとめのない文章になってしまいました<。 わたしは何が書きたかったのかな(^^;)。 「絶対音感」という本を読んで「変なの」と思ったことが、 書きたかったのでした。 あ、これは「本に書いてあることが変」じゃなくて、 「絶対音感という言葉がずいぶんと変に、 ねじ曲げられちゃったなあ」と思った、ということです。

 絶対音感を持っているっていうのは、 全然たいしたことじゃないし、 音楽をやるための必須条件でも全くないです (相対音感がしっかりあればいいのです) 。 小さな頃からピアノを習っていて、 ちょっと勘のいい子供なら特別訓練しなくても、 自然と身について行く能力です(と思っています)。 自然界で聞こえてきた音がドとレのあいだの何ヘルツの、 ところに値する音だ、というのが分かるっていうのは、 俗に言う絶対音感の意味とはちがうと思うのでした。 それこそそんなことが分かったってなんの役にもたたないですね(笑)。 わたしは分かりません。ピアノの音ならなんでも分かるけど。 DTMするには結構便利な能力かな、とか思っています

SayaT at 1999/12/25 | Comments [0]