2004年12月25日

【アマデウス(ディレクターズカット版)】

(DVD)2002/米/ミロシュ・フォアマン
 むかーし見たっきりだったのですが、何となく借りてくる。覚えているのとだいぶん違う(^^;)。多分細部は忘れ果てて、印象深かった部分しか覚えていなかったからだろうと思うけど。でもやはり「サリエリが堪らないなあ」と思う。才能を見分ける能力だけを与えられる、というのは堪らないよね。拷問だと思います。そこで居直って、隠された他人の才能を発掘する人、と自分を位置づけられたらいいのだろうけど、自分自身が創作へ対する大いなる欲求を抱いている時は、それはとんでもない拷問器具でしかない。かわいそうに、サリエリ。でも、その才能が故、最後の瞬間天才と創作の過程を共有することができた。あの時間(レクイエムの口述筆記…というのか、作譜ですね、をしている時間)こそがサリエリにとって至福の時だったのではないか、と私は思うのだけどね。私はサリエリにもなれない、もう一階層下の凡人なので、その至福な時間さえ与えられないのである。
 さて、ウン年ぶりに見てみて、このアマデウスのモーツァルトに対する見方が180度変わってしまったのに気が付いて愕然。昔、まだとっても若い頃に見た時には、このモーツァルトがとってもとってもお下品で嫌いだった。ところが今回見ていて「こいつ…かわいいじゃないか」と心から思ってしまった。とてもいい子じゃないか。妙な悲壮感もなく気負いもなく、ただただ音楽と戯れている、素直で単純なモーツァルト。ああ、これこそを「神様に愛されている人間」というのだなあ、と、思いましたよ。(だからますますサリエリの苦しさが迫ってくる)。そうよ、若い頃は何よりもこういうお下品な雰囲気を私はどうしても許せなかったのよ。今でも好きではないにしても、でもずいぶんと許容範囲は広がってきたと思う。年取ったのね、私も(^^;)。

SayaT at 2004年12月25日 12:23
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