2004年12月24日

【アララトの聖母】

(DVD)2002/カナダ・仏/アトム・エゴヤン
 予備知識ゼロで借りてきました。とんでもないジェノサイド映画でした。いや。ジェノサイドは重要なテーマではない。3つ(かな?)の話が並行して進み、それがお互いに絡み合って一つの大きなテーマを紡ぎ上げる、と言うややこしい作りの映画ですが、その割には分かりやすい。けれども、劇中劇(映画中映画、かな)として描かれる「アルメニア人大虐殺」があまりにも衝撃大きすぎて、他の全てはかすんでしまいました…私の中では。こういう民族規模の大虐殺の話は人類の歴史上たくさんあり(同じ人類として情けないことだが…)文字ベースではよく知っているような情景でも、こう、画面で見せられると堪らないものがある。人間ここまでやれるのか、いや、人間というもの自体がこういうものなのか。生きているのがいやになる情景です。人って個人でここまでやれる人は少ないのよね。でも、いったん集団になると、どこまででも行ってしまう。なんでここまで醜くなれるのか、と言うか、なぜここまで善悪や道徳の基準を変えることができるのか。…変えないと戦争なんかできないからね、と言われるとそこまでなのですが。
 この映画のテーマがなんであれ、私はその部分に引っかかってしまって先へ進めなかったので、感想もこれでお終いです。映画としてはどうなのかな(^^;)よくわからないです。なかなか印象深い良いシーンもあったんですけどね。
 印象に残ったのは、カナダ生まれのトルコ人がカナダ生まれのアルメニア人に「お互いカナダ人だ、過去は水に流して仲良くシャンペンを飲もう!」と呼びかけるところ。アルメニア人は拒否するのだけどね。確かに忘れてはいけない。自分たちが(あるいは彼らが)何をしたか、目を瞑ってはいけない。でも、私は、それを糾弾するのではなく、それを忘れないことで「二度と同じ事をしない」と誓って欲しい。その誓いを実行して欲しい。…なぜ大虐殺が起こったのか、調べる過程で糾弾が起こり責任問題が起こるのかもしれないけど、それがメインになってしまってはいけない。でないと将来また必ず同じ事が起きる……。強い者の集団が弱いものをいたぶりそれに快感を覚えるのは、人間の悲しい性(本能)ですか? 誰が誓おうと、何をどうしようと、それらは繰り返されるものなのでしょうか? なんて考え出すと際限なく落ちていきそうなので、考えない。誇りを持って生きていきたいものである。

SayaT at 2004年12月24日 23:10
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